
心不全の典型症例
[医師解説] 心不全の典型症例
ページ更新日:2025.9.1
心不全の典型的な症例として、70代男性Aさんの診断から治療、そして生活の質の変化に至るまでの流れを解説します。心不全は、心臓の機能が低下し、全身に十分な血液を送り出せなくなる病気です。高齢化に伴い患者数が増加しており、「心不全パンデミック」と呼ばれる社会的な課題となっています。
症例紹介
- 患者: 70代、男性(Aさん)
- 主訴: 階段を上る際の息切れ、足のむくみ
- 既往歴:
15年以上前から高血圧症で内服治療中、10年前に心筋梗塞でカテーテル治療を受けています。
具体的な症状と現病歴
Aさんは長年高血圧の治療を続けていましたが、ここ数ヶ月で生活に支障を感じるようになり、かかりつけ医の紹介で当科を受診しました。問診では以下の症状が確認されました。
- 半年前から、坂道で息が切れるようになり、最近では自宅の階段を上るだけでも動悸がするようになりました。
- 夜、横になると咳が出て息苦しさが増し、枕を高くして寝ていることが増えました(起坐呼吸)。
- 夕方になると両方のすねがパンパンに張り、指で押すと跡が残る「圧痕性浮腫」がみられました。靴下の跡もなかなか消えませんでした。
- 食欲がなく、体重は変わらないのに体が重だるいと感じていました。
- 過去に心筋梗塞を経験していることから、また入院するのではないかという強い不安を感じていました。
診断と検査
Aさんの症状と既往歴から心不全が強く疑われ、確定診断のために以下の検査が行われました。
- 身体所見:
首の血管の怒張(頸静脈怒張)や、肺の底部で聴取される湿った音(湿性ラ音)が確認されました。 - 血液検査:
心臓に負担がかかると分泌されるBNP(脳性ナトリウム利尿ペプチド)の値が著しく高値でした(450 pg/mL、基準値は18.4 pg/mL未満)。これは心不全の存在を強く示唆する所見です。 - 胸部レントゲン検査:
心臓の陰影が拡大しており(心拡大)、肺に水が溜まった状態(肺うっ血)が見られました。 - 心電図検査:
過去の心筋梗塞を示す波形異常(異常Q波)と、心房細動という不整脈が発見されました。 - 心エコー検査(心臓超音波検査):
心臓のポンプ機能を示す左室駆出率(LVEF)が35%に低下していることが判明しました(正常は55%以上)。心筋梗塞の後遺症として、心臓の壁の一部(特に前壁)の動きが悪いことも確認されました。
これらの所見とガイドラインに基づき、Aさんは「過去の虚血性心疾患(心筋梗塞)と心房細動を背景とした、慢性心不全の急性増悪」と診断されました。
治療方針と経過
診断後、速やかに入院治療が開始されました。治療の目標は、現在の苦しい症状を和らげることと、長期的な悪化を防ぐことの2点でした。
- 薬物療法:
入院当初は、体内の余分な水分を排出するための利尿薬が点滴で投与され、息苦しさとむくみが改善しました。症状が安定した後は、長期的な心臓保護を目的として、心臓の負担を軽減するβ遮断薬や、血管を広げるACE阻害薬/ARB/ARNI、そして近年予後改善効果が証明されたSGLT2阻害薬などの内服薬に切り替えられました。また、心房細動による脳梗塞予防のために抗凝固薬も使用されました。 - 生活指導:
退院後の管理を見据え、以下の指導が行われました。- 塩分制限: 体液の貯留を防ぐため、1日の塩分摂取量を6g未満に抑えるよう指導されました。
- 水分管理: 心臓への負担を減らすため、水分摂取量を医師の指示範囲内で管理するよう説明されました。
- 体重測定: 毎朝、体重を測定・記録し、急激な体重増加(2~3日で2kg以上)があれば早期に医療機関へ相談するよう指導されました。
- 心臓リハビリテーション: 理学療法士の指導のもと、筋力低下を防ぎ、活動性を高めるための運動療法が開始されました。
入院治療の結果、Aさんの息切れとむくみは劇的に改善し、BNPの値も低下しました。約3週間の入院を経て自宅療養に移行しました。退院後も定期的なフォローアップを続けることで、Aさんは当初の不安が軽減し、生活の質(QOL)が大きく改善しました。
まとめ
Aさんの症例は、心不全が「年のせい」と見過ごされがちな症状から始まることを示しています。心不全の治療は生涯にわたりますが、適切な薬物療法と自己管理を継続することで、症状をコントロールし、より良い生活を送ることが可能です。心不全の治療には、医師だけでなく、看護師、薬剤師、理学療法士、管理栄養士など多職種が連携する「チーム医療」が不可欠です。息切れやむくみ、夜間の息苦しさなど気になる症状がある場合は、放置せずに医療機関へ相談することが重要です。
免責事項:
本記事で取り上げた症例は、典型例を基に個人が特定されないよう変更を加えたフィクションです。記載の内容はすべての患者に当てはまるわけではなく、一般的な情報提供を目的としています。本記事は医学的助言の提供ではありません。ご自身の症状や治療については、必ず専門の医療機関にご相談ください。