廃用症候群の典型症例

[医師解説]
廃用症候群の典型症例:「あっという間に歩けなくなった」80代女性Aさんの診断と治療経過

専門医が典型例で解説

ページ更新日:2025.9.1

この記事では、廃用症候群(生活不活発病)の典型的な症例をご紹介します。肺炎の治療後、急激に心身機能が低下したAさんの診断プロセスと回復への道のりを通して、廃用症候群の実際と、早期介入の重要性についてご理解いただければ幸いです。

症例紹介

  • 患者: 80代、女性(Aさん・仮名)
  • 主訴:
    退院後、ほとんど歩けなくなり、日中もベッドで寝て過ごすことが多くなった。
  • 既往歴: 高血圧、骨粗鬆症

具体的な症状と現病歴

Aさんは、約1ヶ月前に肺炎と診断され、入院治療を受けました。入院中はベッド上で安静にしている時間が長かったといいます。退院後、ご家族がAさんの著しい変化に気づき、当院を受診されました。ご家族の訴えは以下の通りです。

  • 入院前は杖を使って自宅内を歩けていたが、退院後は歩けなくなった。自力で立ち上がることも困難な状態。
  • 食事量も減り、見るからに痩せこけてしまった
  • 以前より口数が減り、表情が乏しくなった。何を尋ねても「別に…」と答えるだけで、明らかに気力がなくなったように見える。

リハビリを促しても「疲れるから」と意欲がわかない様子。 ご家族は「このまま寝たきりになるのではないか」という先の見えない不安と、増大する介護負担に「介護疲れで共倒れしそうだ」と話されていました。

診断アプローチと臨床的思考

鑑別診断

まず、Aさんの活動性が著しく低下した原因として、新たな疾患の可能性を考慮しました。具体的には、脳卒中、骨折、心不全の悪化、電解質異常などです。診察と血液検査、画像検査を行いましたが、これらの活動低下を直接引き起こすような急性の病変は認められませんでした。

検査所見

次に、全身の機能評価を行いました。

  • 身体機能評価:
    • 関節可動域測定:
      特に股関節と膝関節に軽度の拘縮(関節が硬くなること)が見られ、十分に伸ばせない状態でした。
    • 徒手筋力テスト(MMT):
      下肢の筋力が著しく低下しており、特に体幹や殿部、大腿部の筋力低下が顕著でした。
  • ADL(日常生活動作)評価:
    食事、更衣、トイレ動作、移動など、ほぼ全ての項目で介助が必要な状態でした。
  • 栄養状態の評価:
    血液検査では、栄養状態の指標となる血清アルブミン値の低下が認められ、低栄養状態に陥っていることが示唆されました。統計的にも、廃用症候群の高齢者の約9割が低栄養を合併しているというデータがあり、Aさんもその典型例でした。
  • 認知機能評価:
    質問への反応が鈍く、日付や場所の認識がやや不確かになっていました。

最終診断

以上の所見から、「肺炎治療のための入院および安静」という明確な活動性低下の先行事象があり、その後に筋力低下、関節拘縮、ADL低下、意欲の低下といった全身の心身機能低下が生じていること、そして活動低下を説明する他の急性疾患が除外されたことから、Aさんを廃用症候群と診断しました。

治療方針と経過

患者・家族への説明

まず、ご本人とご家族に対し、現在の状態は「病気や加齢のせいだけでなく、『動かさないこと』が原因で起きている」ことを説明しました。そして、「適切なリハビリテーションと栄養管理によって、機能が回復する可能性は十分にある」ことを伝え、Aさんとご家族の先の見えない不安の軽減に努めました。決して焦らず、Aさんのペースに合わせて進めることを約束しました。

薬物療法

廃用症候群自体に特効薬はありません。しかし、便秘や不眠など、活動を妨げる症状があれば、それらを緩和するための対症療法(便を柔らかくする薬や睡眠を調整する薬など)を適宜行います。

生活指導(リハビリテーションと栄養管理)

治療の核となるのは、理学療法士、作業療法士、管理栄養士など多職種が連携して行う包括的なリハビリテーションです。

  • 理学療法:
    当初はベッド上で行える関節可動域訓練や、軽い抵抗運動から開始しました。徐々に座位保持訓練、立ち上がり訓練へと進め、Aさんの体力と自信の回復に合わせて、平行棒内での歩行訓練へと移行しました。
  • 作業療法:
    食事や着替えといった、具体的な生活動作の練習を行いました。自助具の利用も検討し、「自分でできること」を一つずつ増やすことで、Aさんの「意欲がわかない」状態からの脱却を目指しました。
  • 栄養指導:
    管理栄養士が介入し、特に筋力の維持・向上に不可欠なタンパク質を十分に摂取できるよう、少量でも効率よく栄養が摂れる食事メニューや栄養補助食品の活用をアドバイスしました。

経過観察

治療開始当初は無表情で、リハビリにも消極的だったAさんですが、毎日のリハビリを続けるうちに、少しずつ変化が見られました。1か月後にはベッドの端に一人で座れる時間が長くなり、2ヶ月後には手すりを使えば自分で立ち上がれるようになりました。

「できること」が増えるにつれてAさんの表情が乏しくなった状態は改善され、笑顔や会話が増えていきました。6か月後には、室内であれば杖を使ってご自身のペースで歩行が可能となり、トイレもほぼ自立して行えるまでに回復しました。ご家族の介護負担も大幅に軽減され、精神的な余裕を取り戻すことができました。

専門医からの考察とアドバイス

Aさんの症例は、廃用症候群がいかに急速に進行するか、そして早期の適切な介入がいかに重要であるかを如実に示しています。特に高齢者の場合、わずか数日間の安静でも心身機能は大きく低下します。

臨床現場では、「転んだら危ないから」「疲れるとかわいそうだから」と、ご家族が良かれと思って過剰に安静を強いてしまい、結果的に廃用症候群を助長してしまうケースが少なくありません。「安全な範囲で、できるだけ動くこと・動かすこと」が、最高の予防策です。

病気や怪我の治療後はもちろん、なんとなく活動量が減ってきたと感じた段階で、廃用症候群を念頭に置くことが大切です。「年だから仕方ない」と諦める前に医療機関にご相談ください。

まとめ

廃用症候群は、入院や怪我などをきっかけに誰にでも起こりうる状態です。特に高齢者ではその進行が早く、一度進行すると回復には時間と努力を要します。Aさんのように、適切なリハビリテーションと栄養管理、そして本人の意欲を引き出すアプローチによって、生活の質(QOL)を大きく改善させることは可能です。もしご自身やご家族に同様の兆候が見られた場合は、自己判断で様子を見るのではなく、早期に医療機関へ相談することを強くお勧めします。

免責事項:
本記事で取り上げた症例は、典型例を基に個人が特定されないよう変更を加えたフィクションです。記載の内容はすべての患者に当てはまるわけではなく、一般的な情報提供を目的としています。本記事は医学的助言の提供ではありません。ご自身の症状や治療については、必ず専門の医療機関にご相談ください。

文責
東大阪病院 副院長 / 救急科医
前島 健志